自分の勘違いで他者を不幸な目に遭わせても自身の安い自尊心を守るため謝罪もせず間違いを認めようとしない者達。男の体面、攻撃者のセオリー。

とばっちり攻撃
無関係な者に損害を与える原因をつくった者は損害なし。
また攻撃を誘発され無関係な第三者に浅薄な行為をする者。
そして自らの安い体面のため第三者を生贄にする者達。
自分とは無関係な人間が引き起こした問題に
巻き込まれ、他者から攻撃を受ける。
やるせないのは攻撃を仕掛けてくる他者が
勘違いをし、本来は攻撃を受けてしかるべき人間が
何もされず、自分が原因となり何ら咎められる行いをしていない
罪のない人間を間接的に攻撃している自覚がないことだ。
さらに悪いことに攻撃を誘発され、間違いを犯した奴(隷)が
間違いを認めず無関係な人間を攻撃した事実を
なかったこととする場合がこと日本社会では多い。
和を尊ぶことを曲解し他人に合わせてでも無理に
集団を形成することが重要だと勘違いしている者が存在し
自分の間違いを認めることで集団内から疎外される
危険性を低くしたいと考える者がいるからだ。
自分の間違いで集団に損害を与えた事実を認めれば
群れの中から追い出されるどころか殺されてしまうかもしれない。
和を重視しすぎた弊害である。
前回の記事について
他者からの攻撃に鈍感な人だったらどう思っただろうか。

以前の記事ではこの事態に陥る前、他者からの
攻撃を誘発された愚かな人の攻撃を受けるまでの過程において
事前回避策をなんとか立てていた。
結局それは報われなかったが事態の把握はできた。
もし自分が顔が強面で他者からのいわれのない攻撃を
受けにくい姿や周囲の変化も知ったことはない不遜な性格であったなら
勘違い運転手が絡んできて言った言葉
 「ここはそんなに田舎か?」
そして顔をよせてきてはストーキングをする運転手を見て
どう思うだろうか?
きっと「世の中には変なひとがいるなぁ」と思うだろう。
「え?今のなに?」と頭のおかしな奴も存在すると
身に染みて体験したと思うはずだ。
私はよく争いごとに無関係の人が知らないままに
巻き込まれている様子を何回も見てきた。
それを考えてもしかしたら・・・と思う事柄を以下に書いた。
こんな体験をした方はとばっちり攻撃を受けていた可能性がある。
なぜか傍にいる人から睨まれる。
なぜか人がよってきて耳元で怒鳴られる。
物を投げられる。など
分かりやすいのは混雑した電車内での痴漢冤罪だ。
自分ではない他者が痴漢行為を行ったのに
近くにいただけの自分に容疑がかかるケース。
以前の記事に照らし合わせれば
無関係の人間に攻撃を誘発させる行為をしたのが
旅行中の大学生集団、上記記述内容(電車内)では痴漢者だ。
類似点は攻撃誘発行為をした者がなんのお咎めもないこと。
攻撃者のセオリー、被攻撃者のセオリー
横芝での騒動はとばっちりの要素としてあげられる
集団の一員として間違われたこともあるが
自信を持っていえる原因は私のナリである。
もし間違っていても御し得る人間と判断したから
確認もなくあれほど思慮浅く他人の跡をつけタバコの煙を
吐きかけながら挑発的行為をなし得たのである。
相手が少々強面だったのなら無駄に挑発的行為はしない。
したとしても攻撃を誘発させる原因をつくった大学生集団の
一員かどうかを確かめてから実行に移すはずである。
このブログで言い続けてきた攻撃する者が矛先を向ける相手に共通する点。
攻撃者と被攻撃者の相違点。
攻撃者はタクシー運転手(勘違いしたカンチ)
つまるところセオリーにかっちりとハマっていた。
攻撃者は私より背がたかく体格も恵まれていた。身体的有利
攻撃者は駅前の待機場所に集まっていた集団の1人
何かあれば―たとえば私が攻撃者を殴ったら―仲間を助けるため
集団で私に暴行を加えるだろう。
実際には多数対少数、タクシー運転手達と私1人心理的有利
身体的・心理的・状況でも相手が勝っていた。
人間も動物である。 自分より弱い、また表面的にも弱いと思った人間には
とことん高圧的になり支配欲が湧く。
間違いを押し付け集団を統制するため貧乏くじを引かせる
生贄役にもできる。
八つ当たりに探すのは自分より下と思い込んだ相手だけだ。
今一度訴えたいのは社会、それも男(オス)であれば
優しいと形容されるような顔、姿は
「どうぞぼきゅを・・・ぼきゅを殴ってもストレス発散して
おまけにパシリにでもしてきゅだしゃいーーーーーー」
と、お金を差し出して無防備に他者に懇願しているのと同じである。
その自分では懇願していないのに他者から攻撃され
反抗すると「殴れって懇願したじゃないか」と逆切れされる
顔でもある。立場の強制押し付け(コントロールドラマみたいなもの)
やっかいな顔に生まれついたと悲劇ぶって自分を自分で慰める
しか今のところ手立てはない。