残飯屋・スラム街での残飯売り

若者の雇用・仕事関連キーワードで記事をあさっていると
残飯屋なる仕事を見つけた。
■残飯屋
社会的身分が低い者(当時低く見られていた車夫や職人の手伝いなど)が
集まっていた貧民街。明治時代は東京にも点在していたそうである。
もちろん貧乏人を相手にする商売も自然とできる。
正規の値段では食べ物が買えない者を相手に残飯を売る「残飯屋」だ。
詐欺師や暴力団が行う弱者をさらに追い込む貧困ビジネスではなく、
良心的な商売であったらしい。
■残飯屋の仕入れ先
下記リンク先の場合では残飯の仕入れ先は士官学校だったようだ。
国を守る兵隊、それも士官候補生が集まる施設ならなるほど、
残飯もでるはずである。
士官学校からの仕入れが滞ると「飢饉」状態に陥る事から残飯であれ
格安で食べ物が買えることは歓迎できるものであったらしい。

最暗黒の東京・下層社会を行く
ttp://www.tanken.com/hinminkutu.htmlから文抽出。
日本軍が捨てた残飯を回収し、格安で転売する残飯屋という職業がありました。
タクアンの切れ端から食パンの屑、魚の骸(あら)や焦げ飯など、
膨大な量を荷車で運びました。
ある日、士官学校からの出物が止まり、「飢饉」状態が3日続きました。
松原は厨房に頼み込んで、豚エサの餡殻肥料用のジャガイモ
洗った釜底のご飯などを持って帰ると、人々は大喜びで我先に
カネを出し始めました。

日本は特権階級と下層民との線、区切りをうまく隠しているので
貧民街は形成されにくい。寝床なしの貧民は大規模には集まれない日本。
これから上民・下民と格差がひらいていけばどこにも居場所がない人間だけが
受け入れられる場所が増えるだろうか。私は無教養・無学の零落農家の
子供の子供であり下民なのできっと貧民街ができれば追いやられてしまうだろう。
持てる者にとっては本当に何も持たない・失うモノが
ない者たちほど怖いものはない。
だから「生かさず殺さず」それ以上力を込めると殺す、という絶妙の配分で生かす。
無能な政治家にとって増税の大義名分できたあの地震はハッピーイベントなのだ。

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