子供に気遣いさせる親のほうこそ問題だろうに

子供の気遣い
自分の家が貧乏であることを自覚すると、子供は物を欲し
がらなくなってしまいます。それは物をねだっても手に入らない
という諦めの思考が支配しているためであります。

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■ゲーム1本で線引きされる
幼少、小学生高学年くらいまでは欲しい物がたくさんあるのに
入手する方法が親、親類にねだるほかない身分である。
もっているか、もっていないかで差ができやすいのが小学生だ。
流行のゲームソフトを持っているかいないか
でグループが形成され、もっていない子はなかなか輪に
入れなかったりする。「そんなことはないよぉ」といぶかしむ昔小学生
だった人はもっとよく思い返して欲しい。心あたりがあるはずだ。
■子供の気遣いというのもあるが
子供の気遣いというよりもただ単に防衛反応だと感じる。
小学生・中学生の身ではお金を稼ぐことは難しい。
なので親や親類にねだるしかない。しかし貧乏家庭に生まれた子は
どうあがいても手に入らないことが身にしみている。
貧乏家庭によくある話として当の親がお金を自分自身の娯楽のために
使い込んでいるのも珍しくないからだ。
じゃあどうする?
欲しいものが手に入らないもどかしさを抑制するには
他のモノで代替をするのも手だが、貧乏人の子は選択肢が
強制的に狭められてしまう。金がまったくないからだ。
流行のゲームソフトを買ってもらえないからお小遣いで
安い中古ゲームソフトを買う、なんてこともできない。
ならば「元々欲しくなかった」と思い込むしかない。
■酸っぱいブドウというよりは
欲しいものがあるから苦しくなる。だから欲しいものなんかなかった、
いや、欲しいものなんかないと信じ込むのだ。
欲しいものがなければ「欲しい」との感情は生まれない。
「我慢」するのではなく、我慢をする必要がない状態にする。
防衛機制としてのすっぱい葡萄の上位互換みないなものだろう。
この歪な心理的防衛方法を貧乏家庭に生まれた子は多少ならず
身に着けているはずだ。
しかし、この防衛方法をとってしまうと極端に物欲がなくなり、
悪い意味で無欲な人間となってしまうおそれがある。