いまどき人格形成がなされて「ひどいことしたな~」なんて悔いても遅い。おまえは人を能動的に傷つけた。

■河口
高校生となりある程度お金が稼げるようになるまで
の生活サイクルが変だつた。
中学の頃は最悪。
過敏性腸症候群がひどくなりはじめたときでもある。
家に居れば父の操縦ができない母がわめき泣く。
もちろん聖人君子でも女神でもなく、自身もまた
貧乏家庭出身の母は子供にあたる。至極当然だ。
しかし、母の攻撃によりたまった姉へのストレスは
私に流れる。
父→母→姉→私という流れ。
父は姉を可愛がっていたので母に怒られると
私に文句、ちょっかいをかける。
姉は…いわずもがな。ストレスの最終地点に変更なし。
■こころやすまる夜中
受験期に離婚・借金で家がひどい状況であり、
まともに勉強ができないときは
近所の学校の中庭に忍び込み、夜11時まで点灯していた
ライトのしたで教科書を読んでいた。
この文だけ読むと「まぁまぁ悲惨だな~」と思われる方もいるかも
しれないが私にとっては心休まる時間であった。
後々トラウマになる借金取りからの電話音や
母の金切り声、父の怒声、姉のきちがいのような喚き声。
酒臭い口臭も嗅ぐことはなく、ひっぱたかれもしない。
家事の手伝いからもいっとき逃れられた。
最高な環境だった。そうそう、学校の中庭は石畳で
木のベンチを机がわりにしていたな。
宿直や見回りのシフトによるのか分からなかったが
ライトが点灯しない日もあった。そのような日は
グラウンドに併設された体育倉庫の隅でタイヤを
教科書置きにしていた。グラウンドは夜練するサッカー少年が
使うので8時ごろまでは申し訳程度に照らされていた。
わずかな光だったが手のひらや下敷きで反射させると
文字が読めるのだ。手のひらというのも体感したのも
この状況下だ。ときどき、グランド校内におかしな
集団がくるので何か声が聞こえたら耳の内側から
覆うようにして聞き耳を立てていた。
拾える音が段違いにかわる。馬鹿にできない。
一応、護身のため背中を体育倉庫の壁につけて
確認が必要な範囲を狭めてはいたが
もし、大人の人間に襲われていたら
ひとたまりもなかっただろう。
それならそれで運命だと割り切れていたような
いなかったような変な覚悟はあった。
まぁ、朝鮮やくざが住み、町の顔役とつながっている
町のこと、何がおきても不思議ではなかった。
町の雰囲気に慣れていたのかもしれない。
■貧乏家庭出身あるある 給食よこどり~
世の中のおもしろいのは弱者とされる人間は
つけこまれまくるということだ。
世間体を気にする両親だったので給食にはありつけた。
だが、獲得がむずかしい。
経験がある方も居られるだろうが、大体いじめられっ子は
給食をよこどりされる。とくに「小さいおかず」をね。
なぜか?甘いフルーツ類・デザートが盛られるからだ。
中学生ほどの子供ならまだまだこの手のものは
好きだろう。子供なので抑制がきかないのも通り。
なので、クラス内における腕力・体格を持ついじめっ子側に
奪取される構造ができあがる。
お約束のパターンとしてこの「腕力・体格」を持つ子は
裕福な家庭で育っているものだ。当たり前だろう。
エネルギーをとればそれだけカラダができあがる。
結局は食い物の差。
私の場合はちょっとアレンジがあり、町に影響を
あたえている朝鮮やくざとつながっている顔が広い
世渡りがうまい人間の子たちが搾取側にまわっていた。
ようするに抵抗する教養も知恵も友人も親戚も味方もなにもない
親をもつ子は黙っているしかない。
家ではたまにしか食べられないフルーツポンチやプリン
などを日常的に食べている子達にとりあげられる構図。
ここで教職に誇りを持ち、指導をきめた教師はつぶれる。
横目で大事にならないか注視し、多少のことは見逃すのが
教師たちの間ではセオリーだからだ。
あ、そうだ、あの頃学校にいた教師関係者全員しねよ。