空腹になれることはない

考えてみるとわが家庭は相当に歪だ。
元父はあいかわらずのアホだが、姉のうんこぶりに驚嘆いえい。
元々、見かけは「おさげ眼鏡」の地味子な姉がTOKYOに遊びに
いくようになってからはキャミソールやショートパンツを
着るようになる。あからさますぎる。
地味な服を好んでいた女性が露出の多い服装を
進んで着用する、ということが何を指すかはその手の問題に
うとい私でもすぐに判別できた。男だ。
それも中年男性であった。
まぁ、貧乏家庭にに生まれたそこそこ顔が良い女性が
贅沢を手にいれるのに「パパ」をつくるのは常道のひとつだ。
それは男がヒモになるより簡単である。
ま、こんなことを書くと女性差別だと言われそうではあるが
事実、女性より男性の方が社会的身分が総じて高く、
経済的にも恵まれているからだ。裕福な人を見つけるのに
確率的な観点から申すと、「男」を狙う側が有利なのは明白だ。
この反論を反論で返すと、なんでも女性差別にしたがる方達が
訴える「男女雇用機会均等」の根底の部分をみずから壊しに
かかるというトラップをしかけておく。
話をもどします。
昔からぬけめのない姉は有名人とも懇意な中である
パパをみつけたようだ。方向は違うがこれも努力…なのか?
TV紹介されるような高級レストランにも連れて行ってもらい、
たまに服もプレゼントされているようだ。
しかし、なんでもかんでもパパの財布からという
わけではなく、家に小山になっているブランドものの
バッグは姉自身が購入したものが大半だ。
やっかいである。姉は東京にいって贅沢を
覚えてしまったのだが、それは一個人の自由である。
家族といえでも口出しはできない。だが、
ことあるごとに「ニート」「ひきこもり」と揶揄する
私より家にいれるお金がすくないのだ。
けれど、私の完全にひきこもっていた時期も姉は小額では
あるがお金をだしてくれていた。これは素直に感謝するが、
いちばん家が荒れていてお金がなければ飢え死にする
大切な時期に家にお金をいちばん入れていたのは私で
ある。さらに言えばその頃も姉は家に損害を与えるばかり
であったし、ただ単に家にいれた合計の金額としては
私のほうが勝っている。だが、家では姉>私の力関係。
私が弱っていた時期を引き合いにだして口論に負けそうに
なると「ニートニート」と叫ぶ。口論の元も家事を手伝わない
から注意しただけなのだ。本当にこんな我侭の奴がいるとは
身近にいながら信じられない。
玄関の一歩さきに出るのにも気分が悪くなった時期でさえ
家事はしていたのに、姉はしなかった。
なのに自分が不利になると恩着せがましく「ひきこもりがっ」と喚く。
姉の我侭ぶりは食事の時にでもいかんなく発揮される。
姉は食にうるさいが絶対に食材を買ってこない。
元父も買ってこない。貧乏な家庭なので88円の魚の一切れ
あるだけでも助かるのにそれをしない。
姉のなかでは家の食材は自分のものであり、自分のものは
自分のものであるのだ。もちろん私が泣く泣く購入してた
食材でつくったおかずも遠慮なく食べる。
私が肉をどうしようもなく食べたくなり購入してきたときは
隠れてたべるわけにもいかず、家族みんなで食べることになる。
一応は平等にわける。だが平等ではない。
ひきこもっていたとはいえ若い範疇の男である私は
もの足りない。もの足りないのだが、我慢するしかない。
それでもって母が肉の一切れを私にわたして
「母であるわたしが我慢すればいいのよ」的な
方向があさっていってる愛情をお情けで受けて
貴重な肉をもらいうけるしかない。
もし、我が家の食事内容・光景を健全な家庭環境で男の子を
育てた世の母親が見たらこう叫ぶだろう。
「こんな肉の一切れ程度で男が満足するはずがない」
だが、残念ながら私の母は「男の子の育てかた」を知らないの
だから仕方がない。「貧乏家庭の男の子」の育て方は知っているが。
脱線した話をもどす。姉は当然のことながら、年老いた
両親が満足する程度の量では飽き足らず、保存しておいた
冷凍ラーメンや冷凍カレーを食べる。一袋で300円以上の
ものを常備しているので姉の食事内容は豊富である。
こちらは99円の甘鮭を母と半分こして食べているというのに。
さらに、梅干がひとつもない状況下の食卓でも遠慮せずに食べる。
私はあえて無視するが匂いはどうにもできない。
けれど姉は食す。ここまでひどい姉のフォローをするに
良いことを書く。姉は汁ものを食べる時は、
ほんのすこし汁を残してくれる。
カレーうどんのときはカレー汁をもらい受けられるのだ。
わずかながらの良心、情けだろう。
姉の使った食器類を洗うのは私だが。
当の生みの親であり育ての親でもある母が言うに、
姉は「貴族の家に誕生するはずだった」とのこと。
笑える。うまい。飯よこせ。