いじめから生き残り、安全圏に到達できた先達としての言葉なのか

いじめを原動力に、糧に生きてきました。
と放言する奴はその時点で「いじめる側」になったことを知れ。
いじめ問題が頻発している世の中。
いじめについての議論が活発だ。
特に、識者と呼ばれる方達や教育にかかわる者。
または教職に就こうとしているお頭が良い大学生。
ためいきがでる。
どれもこれもなまっちょろい意見ばかりだ。
ほどよい環境のなか生きてきた者が言いそうな…いや、
実際いっている言葉は
「いじめられた経験のある人は人の痛みがわかる」だ。
細々な部分は違ってくるが、論旨としては
いじめられる痛みを受けたから人に優しくできる。
いじめられたから、いじめのひどさを知っているから
いじめる側にはならない。なんてところだろう。
これらの考えは「いじめ」について、肯定的にとれる
部分を抽出したのみにすぎない。
戦争には否定するが、戦争行為によって得られる民族意識の確認による
連帯感の高まりや各種権益取得などについては歓迎するようなものだ。
いじめにおいて一粒でも良い点が見られてもいじめ行為を
肯定してはならない。それはいじめをする子、人間の
思考というのは暴力団と似通っているからだ。
「いじめられた経験のある人は人の痛みがわかる」
なんてそこら辺に落ちている言葉はいじめる側にとって
たんにいじめを加速するためのネタになるのだ。
上記の言葉をクラス会や全校集会で大人から
聞かされたいじめられっ子はすぐに行動にでるだろう。
下校中や全校集会で集められた体育館からの帰り道、
いじめられっ子をどついて先ほどの言葉を持ち出す。
「いじめられた経験があったほうが優しくなれるんだぜ~」
「おまえは人の痛みがわからないからおれさまがキョーイクして
やってるんだぜ~」いじめられっ子は黙っているしかない。
一部分とはいえ、安易にいじめを肯定した教師を恨む子も
いるかもしれない。
ネットの掲示板や、テレビでも見かける。
いじめを乗り越え各々の目指した世界で
成功した人間の放つ言葉。
「いじめを原動力にして、ここまで来れました」
いじめっ子が笑ってる。

いじめから生き残り、安全圏に到達できた先達としての言葉なのか” に対して1件のコメントがあります。

  1. すなみ より:

    なんか芸能人とかが「昔ひどいいじめに遭った」とか言いますけど
    彼らに共通するあの胡散臭さは何なんですかね?
    俺から見ると、そういう類の人間からは
    いじめる側の人間のオーラを感じますねw

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