師のお言葉が書かれたご聖典より読むものがあるはず

母は2階の私の部屋に届くように大声で家事をするように命じる。
家事をするくらいいいのだが問題はすぐ隣の暇と金をもてあましている
ばあさんにまで母の言葉が聞こえてしまうことである。
母が毎日のように放つ「洗濯物こんで」の声。薄い引き戸ごしとはいえ
階下の母の声は鮮明には聞こえない。こごもった音程から推測しなくては
ならない。気分がわるいときは聞き返すのがこわいからだ。
嫌なことに母は耳が悪いので2階の部屋から声をかけても聞こえない。
「用件を聞いた」「私は家事をしますよ」との反応を伝えるには部屋をでて
階段に降り顔をあわせることになる。
つまり母の階下からの命令はまったく意味をなしていない。
私が耳をそばだて母のようなこごもった音が聞こえたら
引き戸を引き、部屋をでて階段の下を覗いて反応を示さなくてはならない。
なんの反応もないと途端に不機嫌になる生き物だからだ。
母の不鮮明な声にも反応しないと執拗にわめくのでTVを
イヤホンで聞いていると母の声に気づかない場合も多い。
そのときは階下に降りると母の機嫌が悪くなっている
ので気をつかう。
さらに私の気分を悪くするのは母の声がお隣さんに聞こえて
私のこれからの行動が筒抜けになってしまうことだ。
洗濯物をこんでと声をあげられすぐに私が行動しないと
母は機嫌が悪くなり狂うのですぐに日の当たるベランダに降り立たなければならない。
洗濯物が干されているのはベランダ。
はす向かいにお隣のばあさんの部屋があり、ベランダに立つ者は
思いっきり見られてしまう位置。
光の反射ぐあいによってはこちらからは窓の奥がいっさいみえず
ばあさんからは見えてしまうという絶好の場所だ。
このお隣のばあさんは一人身なので何かと近所のイベントがないか
探すのが楽しみなおひとなのだ。
ばあさんが居てもいなくても監視していようと外にでるのが
嫌な私がベランダとはいえ出るのだ。気分が悪くなる。
もっとも私を不機嫌にさせるのが母の無教養さからくる思い込みである。
人どころか日の光さえ恐れおののいている時期に使いにだし、ベランダから
洗濯物をこむように命じていた。ひきこもりはこうすれば直るという思い込み、
まったく引き篭もりの実情を理解していないタレントが上から目線で言い放つ
民間療法を実践させようとしていたのだ母は。
むりやり外に出し、本人にとって毒にしかならないことを行わせる。
母は理解していない。引き篭もりに関する書籍など1冊も
1ページもよんだことはないのに、治療を施そうとする。
「私は子供のためにがんばっている」と言う充足感、利益を一方的に
享受しているのは母だけである。
無教養さからくるこの行為。ベクトルが負にしか向かないのにまったく
理解しないし理解しようともしないし、する必要などないと思い込んでいる。
こんな馬鹿げた一方的な――勘違い親からは見れば愛情といふ――民間療法を
受けさせられつつある患者はどこにでもいるだろう。
馬鹿が増産されていく。