20130516 この馬鹿親ばかりの世界について

急に生クリームの味が恋しくなり買い物にでかけた。
店につくなり冷ケースの棚を物色する。
他のものに目移りすると余計な買い物をしてしまうからだ。
安いホイップクリームはないかと見るがどれも298円のものばかり。
片隅に消費期限間際の割引品を発見。
カロリーオフという気分だけでもダイエット品をよそおった生クリームホイップだ。
通常商品より30円近く安いのでしかたなく購入。
家に帰り早速つくろうとボールを用意したが後が難儀した。
まず、氷がない。欠片もない。
私以外はバカスカ使用するが私が使う時だけないとは。
貧乏くじ体質がでたかと気分がすでに落ち込みかける。
代用として冷凍庫の奥底にあった冷却ジェルを用いる。
が、全然たりない。追加にドライアイスがわりにケーキ
に入れられる使い捨て用の冷却用氷も投入。だが、
そこは使い捨て。氷を覆う幕がお絞りのように紙面でできているのか
薄く水に触れると破けるおそれもあったので氷水状態にはしない。
貧乏一家なので今夏も重宝すると予想しての行動だ。冷却ジェルくらい百均で
購入しろと言うだろうが私には大金である。だからといって
私以外の家族は購入する見込みは低い。
冷却ジェルを敷いた大型のボールに小型のボールを重ねる。
予想以上に冷えたのでホイップクリーム液体を投入。
砂糖も投入しようとビンを手に取りなか覗くと形状が異なる
ものが混ざっている。飲み薬に良く見かける顆粒状だ。
このようなときは大体母の仕業。ヨーグルトを食べていたので
付属の砂糖を使用せず、残り少ない砂糖にまぜてかさましを
したのだろう。問題なしと判断し砂糖をボールに投入。
ビンの中の砂糖はあとスプーン3杯分でなくなる程度しか残っていない。
セーフだ。
貧乏家庭の壁が押し迫る。
次は肝心の泡立て。
しかし、泡立てるために泡立て器を探すがない。
家族用のではないが姉のを借りようと探す。
探し当ててはみるが持ち手部分と泡を立てるのに重要なあの
格子状の部分が分離している。
つまり破損している。
普段料理などしない姉が色気づいて
お菓子調理用に購入した泡だて器。加減なんてものを知らないから
壊れたのか素材が悪かったのかわ知りえないがこれでは一向に進まない。
そうだ、泡だて器と同じ形状のコーヒーマドラーを代用すればよいと
考え見つけ出すとこちらも泡だて器と同じように半壊している。
とって部分が鉄心だけとたよりない姿だ。
いや、もう一本あるので大丈夫と言い聞かせていてもそこは
貧乏神がおわす神域、こちらも小とはいえ一部分が壊れている。
持ち手の鉄心が一本そとに飛び出し、持つ者の手をひっかけ傷を負わそうと
している。だが、他に代用となるものはないので持ち方を工夫して泡立てに入る。
小破損と半壊しているマドラーかつ、持ち方が制限されているので
混ぜにくい。それでも一気に混ぜおえた。
カロリーオフという気休め品だからなのかまともな泡立て器を
使用しないのが悪かったのか氷水で冷やさなかったからか貧乏くじ
ばかり引かされる私が悪いのか定かではないがとにかく出来上がった
ホイップクリームは通常品よりとても量が少なかった。
少なくても貴重なホイップクリームである。
ファミレスにも行かないので食する機会は家族の誰よりすくない。
母のようにお呼ばれしてケーキも
食べる機会もなく、姉のように東京の話題のスイーツを
食べられない身の私には間違いなく贅沢品。
といっても食べ方なんて知らないのでウィンナー珈琲にする程度しかない。
そのまま舐めても良いがそれだとすぐに食べ終えてしまう。
貧乏人まるだしである。
母には機嫌とりでホイップクリームたっぷりの一杯を提供する。
あとはちびちび消費していこうと決める。
夜。食事のあとに珈琲にホイップクリームをいれているところを
居候の元父に見られる。母と酒を飲んだあとなので調子づいている様子だ。
やばい。
案の定こどもの菓子でさえ横取りする子供じみた言動を発する。
「あとで生クリームたっぷりの珈琲のもぉっと」
落胆する。元子供のものはすべて自分のものだと当然のように判断する
ジャイアンのような思考がなおっていない。阿呆は歳を経ても阿呆なのだ。
結果、どうなったかというとホイップクリーム隊は一夜で壊滅である。
風呂からあがり寝る前にひと舐めしようと冷蔵庫を開けるが
そこにはホイップクリームを蓄えた金属ボールがなかった。
もしやと流しを見やると無残に洗い物として格落ちしてしまった
ボールが暴漢に襲われた乙女のように寂しげに、そしてなにかに諦めて
しまったかのように呆然と誰に祝福されることもなく佇んでいた。
貴重な甘みをちまちま舐める計画がご破算した瞬間であった。
息子のバイト中にまで金を無心しにくるアル中博打男を
離婚しても見捨てない母のことだ。なくなる過程は手に取るように分かる。
私がいなくなったあと、元父は無理してもウィンナー珈琲を飲もうとする。
ここで母が止めてくれると思っていたが私の計算違いが発生した。
母はボールの残ったクリームの量をみて私がさんざん食べた後と
判断したのだろう。
私もなんだかんだ言って元父には残りものを恵んでいたのだ。
母は元父に与えるか判断するためにボールに残ったクリームの量と
記憶にある通常のクリームの量とを比較したのだ。
これくらいなら息子(私)はさんざん食べたのだろうから
使い切ってもよさそうだ、と。
私と母の分、ウィンナー珈琲3杯分の量しか使用していないのにそう判断してしまった。
だからこそ母は元父を止めずに自分の分と元父の分、たった2杯で残りの
すべてを使い切ってしまったのだろう。
私の感覚では残りのクリームであと4杯分のウィンナー珈琲を飲めた計算である。
むりやりにでも押し込めるものは押し込める母の性分を鑑みるに
「残りもすくないからあふれるくらい入れちゃえ」
なんて考え、実行するのは想像に容易い。
必要以上の労力を注ぎ込んでも満足いくほど生クリームを堪能できずに
終わってしまった。満足いくほど生クリームの味を堪能できなかった点においては
仕方がないと割り切れる。しかし、母と元父の行為に関しては憤りを感じる。
母も元父も柿の種を数袋も破り、酒を飲んだあとに子供のものをとっかすようにして
ウィンナー珈琲を飲もうとする浅ましさに貧乏家庭無教養な子供の立場から見ても辟易する。