記憶の淵を覗き見るひきこもりに対しての注意点

高校生になって父に対抗できる体格・腕力を持つよりもずっと前。
子供の頃。夜遅くに父が帰ってくると母と口論するのは
当たり前。そして次に起こるのは寝ている私に近寄って
体を揺さぶり、酒くさい息を吐きながら
「○○(私の名前)~母さんのことたんのぞぉ~」と当り散らす。
内容なんて関係ない。ただ自分より下の、命令できる人間を確認
していたのだろう。母との口論が度をすぎてひどい場合には
父は車内で寝るのがお決まりであった。そとのきには
機嫌が悪いので外に出掛ける前に、「~~~しとけよっ!」と、
わざわざご丁寧に私に八つ当たりをしていく。
なぜか姉にはせずに、いつも私にばかり。
そして今日、さきごろ靄のかかった記憶の一部分が晴れた。
いくつかの錆色の記憶が呼び起こされて胸がむかむかする。
きっかけとなった出来事はたあいもないこと。
母が習い事にでかけるまえに私に洗濯物を干しとけ、とでかい声で
1階から放ったのだ。なぜか、私だけに。
私をニートと呼び、家事もせず、ニートである私よりも家計の役に
たっていない姉。その姉は休日でゲームをしている。
なぜかいつも私にばかり色々と押し付けられる。
なぜだなぜだなぜだ。
イラついていくと、父が出掛けるときに支配下の人間を確認する
行動と、「大晦日の記憶」も呼び起こされたのだ。
いつも思い浮かぶがすぐに消える記憶。
大晦日に自分ひとりだけが大量の食器の山に向かって必死に
作業する姿。一年中日があたらず、バキュームカーが止まるアパート。
冷たい床。寒い台所。そこで泣きながら皿洗いをしている幼い自分。
なんで泣いているのかいまでも思い出せないが、ひとつだけ手繰り寄せ
ることができた。
■大晦日の夜に泣きながら皿洗いをする場面
狭い部屋の一室。
コタツで満足げに横たわり寝ている母・父・姉だ。
母が奮発して母・姉の好物である数の子を買ってきたのだった。
そして私は一欠けらも食べてはいなかった。
数の子だけではなく、それ以外の料理も一切口にしていない。
泣いた理由は判明しないが皿を洗いを母に命令され、父が
私の神経を逆なでする言葉を発し、姉は満足してゴロ寝を
していたのを思い出したっ!泣いた理由はわからない。
しかし、何も口にしていないのに皿洗いをさせられた経緯は
鮮明になった。母がいつもの不機嫌モードになり、八つ当たり
気味に命令したのだ。姉と協力して、とも言わずに私だけに。
今でこそなんてことのない家事のひとつだが、小学校低学年生で
あった私には結構な労働であった。手の平が小さいので皿がうまく
支えられず持ちにくいからだ。ああ、そうだった。子共には子共の
都合というものがあるのであった。ただ走るだけなのに転んだり、
着替えるのにもたついたり、味噌汁を運ぶだけなのにこぼして
しまったり。成人した後ではまったく慮ることすらしなかった。
子共のときは逆上がりができていた人でも、成人した身では
なかなかできないと聞く。その逆ももちろんあったのに。
大晦日の夜。安アパートの流し台で
床の冷たさを足裏で感じながら皿洗いをする自分。
後ろの部屋では食事を終えてコタツに浸かり、寝ている
母・父・姉。泣いていた理由は思い出さなくても良いだろう。
いつものことだから。
■思い出すのは安全圏に到達してから
幼少期や青年期にひどい家庭環境に身を置いた人は
一部の記憶にふたをするという。記憶の封印とも言える。
心理学なんちゃらには教養がないが、自分の考えを述べさせて貰うと、
「思い出すのは安全な場所へ到達できてから」にするべきである。
突発的・偶発的に思い出してしまうのはしかたがないとして、記憶を辿って
自分のひきこもった理由・トラウマの原因などを探求すると、
ときに危険であると考える。
いままでぽっかり空いた空白の時期があるとする、
そこにはきっと辛い記憶がある。そうでなければわざわざ
封印する必要がないからだ。楽しい思い出や将来の糧になる
記憶ならば能は喜んで提供するのが道理というもの。
もし、むかしの自分と向き合いたいのならある程度社会的地位に
達した後にするべきだろう。女性ならば親(毒親)と離れて
心身ともに落ち着ける住居、贅沢を言うのならば守ってくれる
夫がいる環境でするべきだ。男性の場合はなんとか毒親から
脱出してある程度の金銭を確保できてから・・・が良いと思われる。
男性は女性より一発逆転の手段がすくない世の中なのは重々承知の助。
■私の場合
絶賛毒親搾取子状態中の私に限って言えば、記憶の空白は
できるだけ埋めないようにしないといけない。
むかしの嫌な記憶がフラッシュバックすると胸の鼓動がはやまり、
息をいくら吸っても息苦しい状態におかれるからだ。
息苦しい状態がおわると、なんでこんな家に生まれてきたのだという
負の感情が下腹からこみ上げて「イィーーーーーーーッっtぅt」なんて
叫びたくなるからだ。この一連の反応がおちつくと脱力感が襲い掛かる。
運動をしていないはずなのに運動をした気にはなるのでお徳かもしれないが
脱力感が半端ない。やる気が削げられる。ジョリジョリではなくザクッザクッっだ。
うぃーーあーーーちゃんぴおーーーーーん。うぃーーーーーーー。